今月のPRESIDENT FAMILYに掲載されていた読売ジャイアンツ原監督の記事を紹介します。僕は父親像を見直すキッカケとなり原監督のファンになってしまいました・・・。
高校、大学の七年間
僕には二人の父がいた。
「監督」「父親」の二人の父だ。
父は鬼監督だった。
親子だからといって
手心を加えられるどころか
チームメイトの5倍は殴られた。
あまりの厳しさに同級生ばかりか先輩までが
「おまえ、大丈夫か」と心配するほどだった。
おかげで監督の息子だと
後ろ指をさされることもなく
チームには溶け込むことができたが
「どうして僕だけこんなに」と
理不尽さに震える日々だった。
ところが、合宿生活の合間
たまの帰宅日に家に戻ると
そこにはまるで別人の父親がいた。
母と妹と四人で食卓を囲み
野球の話は一切しない
やさしい父親の姿に戻るのだ。
その変わり様は二重人格と疑うほどだった。
そして、月曜日になり、学校へ行き
授業を終えてグランドに行くと
やっぱりそこには鬼監督がいて
チームメイトの何倍も僕を殴るのだ。
僕は理不尽な憤りに震えながら
厳しい練習に取り組んだ。
高校三年の夏の甲子園で負けた後
大阪の新幹線で小田原へ戻り
そこでチームメイトと別れ
父と二人になった。
実家へと帰る小田急線の中で
まだ学生服の僕に、父はポツリと言った。
「辰徳、よく頑張ったな。おまえもきつかったろう。でも俺もきつかったぞ」
父の辛さを初めて知った気がした。
そして、全てが吹き飛んだ気がした。
自分自身が親になった今では
父の心中はよりはっきりとわかる。
グランドで鬼になり続けた凄さも
帰宅日の一家団欒でだけは
せめて見せたかった愛情も。
その後、再び大学で四年間
二人の父を見続けた僕は「巨人軍」に入り
ようやく父は「監督」ではなくなった。
それでもプロ野球選手となってからも
そして僕自身が監督になった今も
僕にとって父は野球の師であり
尊敬する「父親」であり続けている。