今日は「くすの木学童塾」のかわら版より奈々子先生のつぶやきです!
『あたりまえじゃない』
私が子どもの頃は、自分が遊びに行く時に、親に送ってもらったり、迎えに来てもらったりすることはありませんでした。父の車を足に使うなんて、考えたこともありませんでした。
それが、時代は変わり、車の所持率も変わったようにその使い方もずいぶん変わりましたね。我が家も、子ども達がスポーツをしているので、用具運びや会場までの送迎をすることが多々あります。今の時代、小学生の習い事でも中学校に入ってからの部活動でも、親の送迎が当たり前になっています。でも、私は少々疑問があります。自分がやると決めた習い事や部活動なのに、「親の送迎があたりまえと思っちゃいかんだろう」と。私は極力、自力で行って帰ってくるように言ってきました。もちろん、意地悪で言っているのではなく、自分の事は自分でするというただそれだけのことです。一人では行けない距離だったり、夜遅くなったりという場合も多くあるでしょう。また、一緒に行って応援する事が親子二人三脚で頑張ってる感もあり、実際、子どもの頑張っている姿は親の力にもなります。だけど、親の送迎は「あたりまえじゃない」ということを伝えています。
低学年のうちは、友だちの家に遊びに行くのも親が送迎をすることがありますよね。このあいだ子ども達と話をしている時、「自分が遊びに行きたいのだったら、自分で行って帰って来ないといけない。できないなら遊ぶのを我慢しないと」と言うと、キョトンとしてシーンとなりました。《どうしていけないんですか?》というような表情でした。小さなうちはいいとしても、高校生になっても学校や駅へ送迎をしているという話をよく聞きます。それがどこまで続くのか、他人の子ながら心配になります。
私が送迎に関して我が子に厳しく言うのは、送迎に限らず、これからいろんな事に直面した時のことを考えるからです。《安易に楽な道に行こうとするのではないか》《いろんな手段や方法を考えなくなるのではないか》《嫌な事があった時に我慢できなくなるのではないか》《何かあると「どうして私の言うことを聞いてくれないの?」と自己中心的にならないか》などなど…。
便利で簡単に欲しいものが手に入り、いつでも連絡をつけられる。そんな恵まれた時代だからこそ、『困った!』という経験をさせなければいけないと思います。そんな、困った経験や失敗をもとに次はうまくいくように、頭を使うようになっていくものではないでしょうか。親の私達が、便利な事や平和な事に麻痺しないよう、考えさせる習慣をつけないといけないと感じています。送迎が全てダメと言っているわけではなく、『あたりまえじゃないんだよ』と、ぜひ伝えて欲しいと思います。