森の木幼稚園・くすの木学童塾 白水 奈々子
先日、ある小学校の先生とお話する機会をいただきました。お話を伺っての印象は、『今の小学校はこんなに変わったんだ…』ということ。正確に言えば、子ども、いや保護者の考え方が。
自分が小学生の頃は、下校後に校庭でずっと遊んでたな~とかそれくらいの記憶。共働きでしたので、近くの商店街のお店の子のうちによく遊びに行ってはおやつをいただき、お母さんが家にいていいな~なんて思っていました。母が小学校に来ることはほとんどなく(父は来た記憶ナシ)、友達とのトラブルにも口を出すこともなく、喧嘩したりいじめられたりしても、あたりまえに自分で解決していました。
続いて、我が子の小学生の頃。かれこれ15年以上前の話になります。母もこんな気持ちだったのかは知りませんが、私が初めて『小学生の子どもの母』になった時は、色々なことが心配でした。登校は近所の上級生と一緒でしたが、さて、一人で帰って来れるのか?あんな内向的な性格で友達はできるのか?幼稚園の頃のように泣いてやしないか…?でも、結果は、そんな心配をよそに、すぐに小学校に慣れ、私の知らない友達もたくさん作っていました。子どもって順応性があるんだな、とホッとしたのを覚えています。
ただし、ホッとしたのもつかの間、長女には女社会の数々のトラブルが襲ってきました。担任の先生も心配し、自宅まで送って来てくださったり、電話連絡していただいたり、ご迷惑をかけてしまいました。でもこれが、小学校という『社会』で揉まれる経験です。幸い同性ですので、自分にも同じようなトラブルの経験があり、気持ちも分かります。そして何より思っていたのは、『自分で何とかできるハズ』ということ。あったよな~こんなこと。いつの間にか仲直りしてたよな、とか、結局あの子とはずっと気まずかったよな、とか。ですので、あえてトラブルから回避させずにしっかりと経験させようと、手は出しませんでした。まだ、取り返しのつく小学生のうちだからなおさら、『これが社会だ』と教えたかったのです。ですので、「学校に行きたくない」と言っても、近所の待ち合わせ場所まで引っ張って連れて行っていました。しかし、中学校で「学校に行きたくない」と言ってきた時は、力づくで…というわけにはいきません。朝に、大声で泣き叫ばれ、困り果てたことを覚えています。結果、数日休むことで落ち着き、元の生活に戻ったのですが、小学校の時に比べると、親も子も、悩んだ期間は長かったように思います。
口数の少ない長男は、朝に「おなかが痛い」と言うことがよくありました。学校の話はほとんど聞いたことがありませんでしたが、何かあっていたのでしょう。真相は今でも分かりません…。次女は「あ~学校行きたくな~」と、時々言っていましたが、もう私も慣れ、聞く耳を持っていませんでした笑。三者三様でしたが、『学校は行くところ』…それは、私が子どもの頃と何も変わらずあたりまえのことでした。
冒頭の、小学校の先生の話に戻ります。残念ながら、現在、小学校には遅刻、欠席、不登校の子どもが多くいるということです。今も昔も「学校に行きたくない」という気持ちは世の常、誰しも経験することです。ただ、変わってきたのが、保護者の方が「学校には絶対に行きなさい」と言えなくなっているということでした。簡単に言うと、『子どもに負けている』状態です。力関係→子ども>保護者…?
家庭は、しつけをするのと同時に、外で何かあった時には「ガンバレ!」と背中を押して送り出してあげるところ。そして幼稚園や学校は、集団生活の中で社会性や協調性を身につけ、色々な経験を通して『揉まれる』ところ。親と子の力関係が逆転していては、それらが身につかないまま大人になってしまいます。未来の日本を支えてもらう為にも、負けないで、お父さん!お母さん!