くすの木幼稚園 副園長 関 恵子
コロナの影響で、遅ればせながら始まった新学期。例年になく自分のことができる年少さんに、自粛生活中のご家庭での頑張りが垣間見え、「お母様方はスゴイな~」と思う日々…。今年は、靴下の脱ぎ履きができる子がたくさんいます。「ん」と、やってと言わんばかりに足を突き出す(!)子はほとんどいません笑。脱いでひっくり返った靴下を元に戻す方法を毎年ほとんどの子に教えますが、今年はそれが格段と少ないようです。ご家庭での頑張り以外の何物でもないと感じています。
毎年、こんな話(靴下の脱ぎ履きの教え方等)をすると、「あ、そんなことも教えなきゃいけなかったんだな」「もう、自分でそんなことができないといけない年齢なんだな」と気づいてくださるお母様方がいらっしゃいます。我が子を産んで育てて初めて『お母さん』になるのですから、「あ、そうなのか!」と思う(気づく)経験は誰にでもあるものですよね。…当たり前かもしれませんが、私も、長女を通して初めて経験することが、たくさんありました。実は、このお話は、2009年に一度園だよりで書いたお話でもあるのですが…。今月は、約10年前の私にお付き合いください笑
「お子さんは、一度の説明で理解できません。だからいつも、二度言うようにしています」小学校の一年生になってすぐ、長女の家庭訪問の際に担任の先生にそう言われました。私自身、家庭訪問というものが初めてで、かなり緊張していた中でのこの言葉。いや~、ショックでした。それまでの保育園生活で、似たようなことを言われていたわけでもなく、家庭でそんなことがあるわけでもなく。「友達とおしゃべりばかりして話を聞きません」とかなんとか言われるのかと思っていたところ、予想だにしていなかったこの言葉。聞けば、5月に控えた運動会の練習で、百数十人の中でただ一人、集団の流れについて行っていないと。一人だけ同じ場所に止まっていたり、違う場所にいたり。先生方に迷惑もかけていたのでしょう、担任の先生はきっぱりと「困っています」とおっしゃいました。
正直なところ、「困っています」の言葉に「困りました」と泣きたくなったのは私の方でした。一度の説明で理解できないと言われた長女のことを、私の方が理解できない。「なぜ?」「どうして?」「理解力がない?」「聞こえてない?」「今までそんなこと言われなかったし、でも、保育園の先生が私に言わなかっただけ?」…結局私は、娘に「先生のお話はちゃんと聞いてね」「ボーっとしとったらダメとよ」そんなことを伝えることしかできませんでした。担任の先生に「困っています」と言わせる娘に、何をどう教えていけばいいのか、その時の私には具体的に分からなかったのです。
そうして迎えた約一ヶ月後の運動会では、特に迷惑をかける様子もない長女にほんの少しホッとしました。でも、たまたまできただけかも…。何度も何度もやって、やっとできるようになったのかも…。そんなことを悶々と考えながら夏休みを迎え、今度は、個人懇談となりました。その時に「今でも二度の説明が必要ですか?」と意を決して聞いた私に、担任の先生はきょとんとした顔の後、「あぁ、今は大丈夫ですよ」とあっさりした返事をくださいました。…「えぇ!?問題ないと!?もう困ってないと!?本当!?」心の中でそう叫び、体中の力が抜けるような気がしたのを覚えています…。
たぶん、環境の変化。長女はこれにかなり戸惑い、ついていけなかったようです。そして、その時にそれに気づいてあげていなかった私…。この後も、何かとちょこちょこ問題は起こりました。そんな問題に立ち向かう(?)度に、理解しているつもりで理解していなかった長女の姿を知り、その度に『経験』が増えました。そんな経験が、次の問題や次女や三女の扱いに生かされることもあれば、全く応用できないこともあり…。結局は、いつまでたっても試行錯誤の日々なのです…。
あれから10年以上。私が母親となって20年以上が経ちました。積み上げた『経験』は、確かに、少なからず、次女や三女の子育てに役立てることができます。教師としても役立てることができます。でも、役立てられないことの方がたくさんあるような気がします。人間だからですよね。いつも同じ、みんな同じ、とは限らない。そして何より、いつまでたっても長女が運んできてくれる『初めて』があるのです。長女自身が経験する『初めて』は、間違いなく私にも母親として『初めて』なのです。つまりは、いつまでたっても『新米の母親』ということ…。なぁんだ。じゃあ、みんな一緒ですね!
前を歩くお母さんも横を歩くお母さんも後ろを歩くお母さんも…悩みながら、躓きながら、一緒に頑張りましょう…!