発表会の練習を通して、一生懸命頑張る子ども達を見ながら、何度も何度も胸を打たれる場面がありました。発表会での体操前のDVDの中に『立ち向かえ!』というメッセージがありましたが、本当に、子ども達は何度『立ち向かった』場面があっただろうか、と思います。
それは決して、年長に限ったことではありません。何か難しい『技術』に関することでもありません。返事一つ。気をつけ一つ。教師を見ること一つ。そんなことも言えるのです。これらは難しいことではありませんが、『立ち向かう』のです。大きい声はぼんやりしていたら出せません。気を抜いていたら気をつけになりません。先生の目を見て話を聞く、これも、なかなか…。だから、立ち向かわなければいけない。何に?…自分自身にです。『一生懸命』大きな声を出すってこういうことか。『頑張る』ってこんなことなんだ。それを教えてもらって、そこに自ら気づいて、それができるようになっていく子ども達を何度も何度も見てきました。…そんな瞬間が見れる、本当に、幸せな仕事だと思っています。
また、これは、『技術』の部分でも同じです。体操の技、足の速さ、楽器を奏でること、読んだり書いたりすること、このどれも、その子自身が持っている能力はもちろん関係しますが、でも、そのせっかくの能力を『全力』で発揮するのか、『ほどほど』で発揮するのかでは、見えるものは大きく違います。そしてまた、たとえその持っている『技術』が決して高くなかったとしても、返事一つ、気をつけ一つ、教師を見ること一つ、を一生懸命頑張ることができる子は、間違いなく、伸びるのです。必ず、できるようになるのです。『発表会は集大成』と、私達はよく言います。これは、決して『技術』の集大成ではありません。パッと見えるものは『技術』の部分かもしれません。でも、子ども達がどんなことにもどんな場面でも『一生懸命』自分自身に立ち向かってきたことの集大成です。…それはきっと、感じて頂けたことと思います。
ところで。私の次女は、くすの木幼稚園に年中からの2年間をお世話になりました。年中から入ってきた子が十数人いた時代です。生後三ヶ月から保育園には通っていましたので、集団に馴染むのも早く、同じように保育園からやってきた女の子と二人、活発に毎日を過ごしていました。…この次女。私にとっては、生まれた時から身体面を含みなんだかんだと心配事があり、わがままで、我慢がきかなくて、とにかく手を焼く子でした。(…今でもですが…)でも、幼稚園の中では、どちらかというと、手がかからない。褒めてもらえることが心地良いということを知っているので、褒めてもらいたい一心で、そこそこ頑張る。
同じように保育園からやってきたもう一人の女の子が良いライバルとなり、体操・かけっこ・鍵盤ハーモニカ・読み書き計算…という『技術』の部分を頑張るのです。本人に『見える』ので。かけっこで負けた、という事実が見えることで、勝ちたい、あの子より上手に回りたい、早くページを進みたい、そんな負けず嫌いな気持ちが先に立ち、そしてその時は幸いにも、次女の持っていた技術がその気持ちにたまたまついていき、こなしていた。
今更ですが、親としてではなく、一人の教師として当時の次女を『評価』するならば、次女は、二年間の幼稚園生活において『立ち向かって』いなかったと感じます。そこそこ頑張ったらできることをやっていたにすぎない。『全力』ではなく、『ほどほど』で頑張っていたと思うのです。「頑張ってもなかなかできない」という辛い想いも、「何度やっても勝てない」という悔しい想いも、「一生懸命やっても失敗することだってある」という貴重な想いも、「全力でやったらこんな気持ちになるんだ」という、何よりも大切な想いも、きっと、経験していない。間違いなく、そんな大切で必要な場面を次女はスルスルとかわしていました。…あの頃の私に教えてあげたい。ぼんやりと子育てしてるよと。見えているものしか見ていないよと。我慢がきかなくてわがままで…そう嘆くばかりで、本気で何とかしようと思っていないでしょうと。
大切なのです。コツコツと頑張ること。たとえできなくても、投げ出さないこと。できないと腐らずに前を向くこと。失敗してもあきらめないこと。…うまくいかなくても、「そんなこともあるよね」と受け入れることができること…。とてもとても、大切なのです。『今』ではなく、『その後』の人生に大きく大きく影響するからです。そこに気づけなかった私は…情けない。
先生方は、いつもそんなことを教えてくれています。子ども達は、いつも教えてもらっています。頑張ることの大切さを。前を向くことの意味を。『くすっ子』を通して。そして、子どもが立ち向かう時は、親である私達も立ち向かわないといけないのです。その痛みを「我慢しなさい」と言うことは辛いかもしれません。その涙を見て「もう頑張らんでいいよ」そう言いたくなるかもしれません。でも、子どもは立ち向かおうとしているのです。だから、私達親はその優しさを堪えることに立ち向かいましょう。もしかしたら、その優しさは、先で振り返った時私のような後悔になるかも…しれないのですから。
関 恵子