先月の奈々子先生からのメッセージに「いつまで心配が続くのかとも思いますが、母親ってきっと、いつまでも形を変えながらそれが続くのでしょうね」とありました。…その通りだなぁ…と思いました。大学生の長女、高校生の次女、中学生の三女…と、それぞれに、やはり悩みは付きまといます。上の子の経験が、次女三女へと簡単には生かされません。だって、三人三様。同じように育てているつもりでも、外見も中身も決して同じではなく、ましてや、それぞれを取り巻く環境だって、同じはずはなく…。と言うことは、子育ては一人ひとり違い、悩みもそれぞれ。
…でも!奈々子先生が仰るように、決して子どももお母さんも一人ぼっちではないのです。どうか、一人で抱え込まず、ご相談ください。『相談』なんて、仰々しいものでなくても良いのです。世間話感覚で「ウチの子が…」なんて話して頂けるだけでも、きっと気持ちが軽くなったり解決の糸口が見えたりすると思います。そして何より、私達も「打ち明けて頂けた」と、大変嬉しくなります…!
ところで私は、その『相談』が中々できない人でした。「こんなこと聞くの、恥ずかしい」「こんなこともわからないのって、思われたくない」…『教師』という職業が、私にくだらないプライドを抱かせ、その言葉を発することができなかったのです。結果、いつも一人で悩み、一人で解決したつもりになり、そしてそれは、次女が就学ののち、学校からの『呼び出し』という形で、私に返ってきました。友達とのトラブル…。それでも、私は「女の子にはありがちだから」「目の前で親が頭を下げているのを見れば身に染みるかな」「これだけ大ごとになれば分かるよね」そんなことばかりを考え、分かったつもりになり、根本の『何故そんなことをしてしまうのか』に目を向けることができませんでした。その結果、その状況を誰に相談することもせず、解決したつもりになり、また同じようなことが起こる…なんてことになっていました。
あの時、先生にちゃんと相談していれば…。誰かに聞いてもらっていれば…。もちろん、そうすることで一度で解決したのかと問われれば、それは違うかもしれません。でも、「どうしてこの子は…」「あの時の私の関わりがダメだったんだ…」「いつまで続くんだろう…」と、自身の子育てに『ダメだし』をされたかのような絶望感を味わうまではなかったのかもしれない。誰かに聞いてもらえるだけで、気持ちは軽くなったのかもしれない。気持ちが軽くなった分、次女へ掛ける言葉が変わっていたのかもしれない。そうしたら、その後の次女の行動に変化が見られたのかもしれない…。
もちろん、今となっては『タラレバ』です。こうしていたら…、こうしていれば…、でも、こんな想いをすることが分かっていたなら、きっとしなかった選択。子どもを育てている『お母さん』に、悩みがない人はきっといませんよね。解決はしなくても、気持ちを軽くするだけでも、きっとそれは『お母さん』の為に、子どもの為になります。遠慮なく、ためらわず、お越しください。私達は、いつでもお待ちしています…!
さて、その次女のことで、これはもうどうしたものか…と、お手上げ状態で、当時パピーハウスにいらっしゃったベテランのベビーシッターの先生に相談したのが『食』についてです。次女は、食べない子でした。好き嫌い…と言うよりも、とにかく量が入らない。入らないから、当然腕も足も細く、体重はいつも標準以下。三度の食事の内、二度は家庭です。その様子はと言うと、一時間以上平気で座り続け、食べもしないのに、長女と同じだけ取り分けて欲しいとわがままを言い、結局は、そのほとんどを残してしまう…。食事の時間を迎えるのが憂鬱で仕方ありませんでした。…ただ、元気だけはあったので、それだけが救いだったのですが…。
アドバイス頂いたのは、「雰囲気を変えてみては?」ということでした。いつものお皿をお弁当箱に変えてみたり、テーブルではなく、ピクニック風にレジャーシートを広げてみたり。もちろん、それを受け、急激な変化が見られたわけではありません。でも、努力する術を学びました。「その後どう?」と気にかけてくださる方ができました。また聞いてもらおう…と、救いを求める場所ができました。…その後も、次女との『食』の戦いは、5~6年続きましたが、その間、ずっと、悩みを聞いて頂いたわけではありません。ただ、どこかで「また行き詰ったら聞いていただこう」と、心の支えとなっていたことは事実です。
一人で出す答えには、限界があります。差しのべてもらえる手も、ありません。お母さん、一緒に『子育て』しましょう…!
関 恵子