「小さくて見えん…」
土曜日の午後、
長女が置きっ放しにしていた漫画の単行本を手に取り、
ぱらぱらとめくったかと思ったら、
そう呟いて本を閉じた三女。
思わず「うそ!?」と声を上げました。
三女は、いわゆる『遠視』で、メガネをかけています。
遠視が見つかったのは、
三歳児健診で指摘され眼科を受診したからでした。
ただ、この時のことでも私には大きな反省があります。
三歳児健診を受けたのは5月。
「ちょっと見えにくいみたいですね。念のため眼科を受診してください」
そう言われました。
でも、日頃の三女の様子が、
見えにくそうにしていたわけでもなく、斜視などで様子が気になったわけでもなかったので、
「まあ、たいしたことないよね。見えんかったって言うより、ちょっとモノの名前が言えんかっただけよね」
そう勝手に判断し、「そのうち…」と、受診を夏休みまで引っ張りました。
そして、健診から三ヶ月も過ぎて受診した眼科で言われたことは、
「遠視ですね。メガネをかけて治療していきましょう」
の言葉。
これは、本当にショックでした。
健診後すぐに眼科へ行かなかったことを、心底反省しました。
ちゃんと見えていないことに全く気付いていなかったことが、とても情けなかったです。
治療を続けていくうちにわかったことは、
遠視だけでなく乱視もあること。
…私も眼鏡をかけていますが、私は、乱視と近視で、視力は両目ともに0.1以下です。
三女にも乱視があるとわかった時、
「視力も遺伝するんですか?」と、思わず先生にお伺いしました。
「視力は遺伝しませんよ。ただ、顔が似るように、眼球の形は似るかもしれませんね」
『視力は遺伝しない』この言葉には正直救われましたが、
乱視は眼球のカーブの形による…と聞いたことがあり、
結局は、眼球が私に似たのかもしれない…と思うと、
ただただ、三女に申し訳ない。
似なくていいのに、眼球の形なんか。
内面はともかく、姿や形が似ることは、反省とか後悔とかそんなものではなく、
今更どうにもできないし、ああすればよかったというものでもなく、
なんともやるせない。
「ごめんね」
意味もなく、そんな言葉が頭に浮かぶのです。
「なんでサツキだけ目が悪いと?」
「知らん」
そんな会話をする次女と三女に割って入り、
「イイやんね~、サツキだけがお母さんと一緒のメガネやもんね~!」
と、特別感を与えるような言い方をしていました。
目が悪いことを悲観してほしくない…というより、
私の中にある何とも言えない感情に目を向けたくないのです…。
さて、治療開始から5年以上が過ぎましたが、
幸い、三女はメガネを嫌がることもなく、毎日ちゃんとかけ、
途中、片目にアイパッチを貼って過ごすなどもしましたが、
一応、順調でした。
ところが、突然の「見えん」の言葉。
よくよく聞いてみると、ほかにも
「メガネ外したら見えん。前は外しても見えよったけど」
「時々、黒い虫みたいのが見えると。お母さんのセーター白やろ?でも黒い点々があるように見える」
「あの時計は二つに見えるよ。本当は一つやろ?」
…本当にもう。
時計が二つに…は、乱視によるものだとしても、
それ以外のことはオオゴトとしか思えない。
「眼科はまだ開いとる!行くよ!!」
部活から帰ってきた長女と玄関先でぶつかりそうになりながら、
眼科へとんで行きました。
でも。
たいしてオオゴトではなく。
いろいろ説明を受け、納得。
…ひとまず、よかった。
ただ、
「もっと早く受診しておけばよかった」
そんな反省だけは、二度としたくないと思っています…。
今日の、どうでもイイ小ネタ。
玉子を落とし、小ネギをちらしただけのお味噌汁。
我が家の子ども達の大好物です。
誕生日などでも「何が食べたい?」と聞けば、
「玉子のお味噌汁~!」と応える次女。
う~ん、お手軽♪