お盆も過ぎましたが、あいかわらず残暑の厳しい毎日ですね。
子ども達の夏休みもあと一週間ほどとなりました。
楽しい思い出が着々と増えているんだろうなぁ。
今年はどんな話が飛び出すか、今から楽しみです♪
さて、タイトルに、楽しい思い出とは対局にありそうな『痛い思い出』と書きました。
唐突で申し訳ありませんが、今回は、私の中学時代の思い出話で行こうと思います。
中学時代、ソフト部に所属していました。
実はこのソフト部、私が希望した訳ではありません。
父は野球な人(なんのこっちゃ)で、自身も野球やソフトをしたり審判協会とやらに属していていろんな試合の審判をしたりしていました。
もちろん、兄も野球部。
だから。
だから当然?
中学校へ入学すると、父の関係で見知った監督や先輩が「ソフト部入るよね!」とやってきて、私はソフト部。
ホントは軟式テニス部が良かったのに…。
バレー部もいいなぁって思ったのに…。
そこに私の意思は全くなく、でもホンの少し抵抗してみて「テニス部に入りたい」と一度口にしてみましたが、「なんば言いよるか、お前はソフト部たい」の一言で一蹴。
当時の私にとって父は、絶対的な存在で、私の中に歯向かうなんて言葉は存在しませんでした。
で、スタートした部活は、地獄…。
一つ上の先輩が、県でもトップクラスと言われるピッチャーだったので、部としての気合も入りまくり。
昭和な時代ですから、肉体的にも精神的にも鍛えまくられました。
で、何が痛かったか。
(…やっぱり、私の話長いですね。本題に入るまでいらない話が多すぎマシタ…)
三振したらボールをぶつけられる!!
監督(♂)は、ウィンドミルで剛速球を投げる方で、バッティング練習ではこの人の球を打たなきゃならない。
で、三振をすると、普通はバッターボックスを出て次の人に交代するのに、そのままバットを構えてもう一球来る球を待たなきゃいけない。
この時の恐怖。
「あぁ、来る…」
剛速球が、太ももに直撃。
来ると分かっていても避けることができない。
甘んじて受けろ?ぶつけるからそこにいろ?三振したバツだ?…そんなことを言われた記憶はありませんが、先輩達がそうやっているのを見て、当然のように私達も倣っていました。
痛さにうずくまりそうなところへ「行ってこい!」の怒号。
…どこへ?
40段ほどの階段上り、10回の旅へ。
三振の仕方が悪くて逆鱗に触れると、「20回だ!!」とか「30回だ!!!」とか増えていくし…。
お風呂に入るときに自分の体を見ると、まぁるい青タンがくっきり。
これが消えそうになると、新しいのがまたくっきりと付くんですよね。
一挙に二つ三つ付くときも(笑)
ただ、あの頃は、こんな部活ばっかりだったような気がします。
どこの部もそんな感じでした。
イエ、もっと痛いことがあったかも。
だから多分、誰にでも『痛い思い出』はあるんだろうなぁ、と思いつつ。
甲子園で大活躍している桐光学園の松井君。(スゴイですよね!)
彼の三振の話題からふと思い出した、私の『痛い思い出』です。