最後の時 ―The Last Time―
赤ちゃんをその腕に抱いた瞬間から あなたはこれまでとは全く違う人生を生きる
以前の自分に戻りたいと思うかもしれない
自由と時間があって 心配することなど何もなかったあの頃の自分に
今まで経験したことがないほどの徒労感 毎日毎日まったく同じ日々
ミルクを与えて背中をさすってやり おむつを替えては泣かれて
ぐずられて嫌がられて 昼寝をしすぎてもしなくても心配で
終わることのない永遠の繰り返しに思えるかもしれない
だけど忘れないで……
すべてのことには、「最後のとき」があるということを
ご飯を食べさせてやるのはこれが最後、というときがやってくる
長い一日のあと子どもがあなたの膝で寝てしまう
だけど眠っている子どもを抱くのはこれが最後
子どもを抱っこ紐で抱えて出かける
だけど抱っこ紐を使うのはこれが最後
夜はお風呂で髪を洗ってやる
だけど明日からはもう一人でできると言われる
道を渡るときには手を握ってくる
だけど手をつなぐのはこれが最後
夜中こっそり寝室にやってきてベッドにもぐりこんでくる
だけどそんなふうに起こされるのはこれが最後
昼下がりに歌いながら手遊びをする
だけどその歌を歌ってやるのはこれが最後
学校まで送っていけば行ってきますのキスをしてくる
だけど次の日からは一人でだいじょうぶと言われる
寝る前に本を読み聞かせて 汚れた顔をふいてやるのもこれが最後
子どもが両手を広げて あなたの胸に飛び込んでくるのもこれが最後
だけど「これが最後」ということはあなたには分からない
それがもう二度と起こらないのだと気付くころには
すでに時は流れてしまっている
だから今、あなたの人生のこの瞬間にも
たくさんの「最後」があることを忘れないで
もう二度とないのだと気付いてはじめて
あと一日でいいから、あと一度きりでいいから、と切望するような
大切な「最後のとき」があることを
◇ ◇ ◇
作者不詳とされるこの詩は、
2年ほど前からインターネット上で話題を呼んでいるそうですので、
すでにご存知の保護者の方も多いかもしれません。
私は、もうすでにたくさんの『最後のとき』を迎えてきました。
もっと早くにこの詩に出会えていたら、
もう少し後悔のない今だったのかも…なんて、
今更、思ってみたりもしますが…。
◇ ◇ ◇
先日、次女が15歳になりました。
今朝、その次女を
何年ぶりかで抱きしめました。
陸上部にて高跳びをやっている次女は、
この数ヶ月、イップスと闘っています。
最初は大げさな…と、軽く考えていたのですが、
顧問の先生に資料を渡されたりご心配いただいたりが続き、
さすがに本気で気にしなきゃかな…と思うようになり。
だからと言って、私に何かができるわけもなく…。
今日は、大牟田での記録会。
昨夜から「跳べんと思う」と、
自己防衛に走るセリフが続いていて、
これまた長女に
「跳べんとか言いよって跳べるわけがないやん」
と一蹴される羽目に。
結局、
朝から不安を隠し、強がって見せ、出かけようとするその姿に
かける言葉が見つかりませんでした。
故に、
抱きしめてみました。
自然に出た言葉は
「跳べんでいいとよ。
その分、部長の仕事を全力で頑張っておいで」
腕から離れた次女が泣いていて、
でも、もう、それ以上の言葉が出ず。
玄関でその背中を見送りました。
小さな頃の我が子との『最後のとき』はたくさん迎えましたが、
それはきっと大きくなっても、
幾つになっても、
日々、毎日、訪れるのでしょう。
あの詩に出会った時の『後悔』の気持ちを
少しだけ小さく出来たような…。
今日も明日も明後日も、
きっとやってくる『最後のとき』。
お母様方がどうか、
悔いのない毎日を送れますように…!