くすの木幼稚園 副園長 関 恵子
今回のお話しも、私の反省文です…。(2010年の園だよりに加筆修正しました!)
長女が小学校へ入学した際、母親として小学校が『未知の世界』だった私は、様々な『不安』や『困惑』にぶつかりました。担任の先生から「話を一度で理解できないお子さんです」と言われ悩んだり、登校時の人間関係が上手くいかない様子に不安を覚えたり、特定の友達がなかなかできない状況にため息をついたり…。ただ、元来がいい加減な私は、あまり深く考えることはなく、そのほとんどを「ま、そのうち何とかなるだろう」と思っていました。…実際、今となっては、そのどれも良い経験の一つとなったのではないかと思っています。
さて、入学して二ヶ月程経った頃、ちょっとした事件がありました。帰宅してランドセルを片付けていた長女が、思い出したように「今日お箸持って行くの忘れとった」と言ってきました。「あ!ごめん。…でも、お母さんのせいじゃないやん?そりゃ、いつもの場所に置いとらんやったけど、自分でせなやろ」「うん、わかった…」そんな責任逃れのような(笑)会話を交わした後、ふと気づき、「お箸貸してくださいってちゃんと言えたと?」と娘に聞きました。「うん、言った。でも貸してくれんやった」「は?じゃあ、どうやって食べたと?」「手で食べなさいって言われたけん手で食べた」「…!?」
お恥ずかしいことですが、この時の私は、かなり激昂しました。「貸してください」と言えなかった娘の作り話かとも思いましたが、何度聞いてもどんな聞き方をしても「手で食べなさいって言われたもん」と言うばかり。(ちょっと待ってよ、犬や猫やないっちゃけん、手で食べなさいはなかろうもん!)そんな怒りが込み上げてきて、娘が手で給食を食べる姿を想像して(恥ずかしかったよね…)と涙が出てきて、情けないことですが、本当にその時の感情をどうすることもできませんでした。友人に電話して聞いてもらい同調してもらっても怒りは収まらず、ただただ担任の先生が許せない…。そして、帰宅した主人の顔を見るなり、私は『箸事件(?)』をまくしたてました。可哀そう。あり得ない。許せない。…そうやって、言いたい放題話し終わっても怒りが収まらない私を見て、主人が一言「学校に電話してやろうか?」そう言ったのです。
…「え、電話?学校に?先生に?」私は、やっとそこで頭が冷えました。忘れたから…と給食を食べさせてもらえなかったわけでもなく、また、当の娘はそれほど気にしているわけでもなく、落ち着いて考えれば、大した問題ではないのです。それは、主人が一番解っていたのだと思います。でも、興奮してまくしたてる私に、「大したことないやん」と言ったところで、「大したことある!可哀そうって思わんと!?」と返ってくることは容易に想像できる笑。そもそも。箸を忘れたことが悪い。「…いい。電話せんでいい。そんなことせんでいい。もう大丈夫」結局、本当は電話なんかする気もなかったようで笑、主人も「そうやね」と、あっさりとしたものでした。
次の日、園長先生に(もちろん落ち着いた状態で)『箸事件』の話を聞いていただいたら、笑いながら一言「逞しいやん」と返ってきました。そう、確かに逞しいのです。「手で食べなさい」にめげることなく、ケロリとしている。こんなこともあるよね、と私が思うよりも先に本人が受け止めている。きっと、自分が忘れたことが一番悪いのだということも私よりもわかっている。…あぁ、自分の感情だけだったなぁ、と思いました。その後、「お箸を忘れた時は、学校から貸してもらえないのでしょうか」そう先生に(冷静に)お尋ねしたら、疑問や不満(笑)は、解消されました。
あの時、冷静になることができずにいたら…。受話器を上げていたら…。きっと今頃は後悔の嵐…。
あの時の私は、『娘のことを想って』という大義名分のもと、ただただ自分の感情をぶつけていました。主人があんなことを言ったのも、私を面倒に思ったから(!)じゃなく、もしかすると私のことを気にしてくれたからかもしれません。(かも。)でも、家族に対する優しさや想いは、見方を変えれば、一歩間違えれば、ただの利己主義になる可能性もあります。…だから、きっと、ちょっとだけ見方を変えることができれば、冷静な判断ができるようになるのではないでしょうか。
あれから16年。その長女はもう社会人ですが、その後の学校生活で忘れ物をしたことはほとんどなかったと思います。これも、見方を変えれば(少々大袈裟かもしれませんが)、小学1年生での経験が、『事前準備』というその後の生活習慣を確立したのだと思えます。
ほんのちょっと見方を変えてみる。アクシデントに限らず、トラブルに限らず、日常からこんな意識を持っておくと、どんな時もいろんな考え方ができるようになるのかもしれません。そして、きっと、どんな経験も、成長のきっかけとなるのだと思います…!